【月刊 情報さいたま
    平成17年10月号の表紙を飾る】
【頑張った者が報われる・・そんな社会を目指して】
         さいたま市議会議員 日下部伸三 

 平成7年に指扇病院の整形外科医兼副院長として病院経営に携わり、平成15年の統一地方選挙では44歳の若さながら、4243票を獲得してさいたま市議に初当選。180cmの長身と、47歳には見えない童顔で誰にでも親しまれている日下部市議。地方政治を追求しながらも同市議は日本の政治を力強く語る。


救急病棟24時で働く
 生まれは兵庫県の出石郡と言う所で小中高時代は西宮市で過ごしました。岡山大学医学部を卒業後は大学の医局に残らずに都立墨東病院で外科、整形外科、救命救急センター等をローテーションし24時間体制の救急医療を研修しました。最近の「救急病棟24時」のようなテレビ番組は現場で働いていた医師の立場から言わせてもらうと一部分だけをクローズアップしていて救急医療の全体像を伝えていません。

 例えば心肺停止で運び込まれた患者さんを蘇生したものの、重い後遺症が残り社会復帰できす、それを誰が診るかで家族が崩壊していくケースとか、高齢者の重症脳卒中の治療は植物人間を作るだけで「壮大な医療費の無駄」かも知れない事など。病院としては宣伝になるので協力するでしょうが、現場で働く医師としては負の部分も報道して欲しいですね。

 平成元年に墨東病院の救命救急センター長が埼玉医大医療センターの教授に就任し、「手伝ってくれないか?」と頼まれて埼玉に転居しました。埼玉医大では整形外科と救命センターを兼務する傍らアルバイトをしていた関係で平成7年に鈴木理事長から招かれ指扇病院の副院長となりました。


政治を志すキッカケ
 医者は社会的弱者と称される人達を診る機会も多いのですが、生活保護の患者さん中にはクラウンに乗り、エステに通っている方もいて「何で?」というのが始まりですね。

 生活保護の問題に触れると「強者の論理」と批判されるのですが、現在さいたま市では例えば母37歳、子13歳と9歳の母子3人世帯の生活保護給付額は母子加算、教育扶助、住宅扶助等を含めると年間約334万円です。月平均の手取り額は約27万8千円となり女性でこの額面を得られる職種は稀で、一度母子家庭の生活保護を受けると母親の再就職はほぼ不可能です。

 善意で始めた政策は悪用されるのが人間社会の常で、協議離婚し母親と子供達はアパートに住み母子家庭の生活保護を受けながら、実態は家族が行き来しているケースもあります。元父親の給与に母子家庭の生活保護が加わるので生活保護を受けながらエステに通いクラウンに乗ることも可能である事が御理解頂けると思います。

 「弱者に対する配慮が不要」と言っている訳では無い事をご理解頂きたいのですが、20歳から60歳まで40年間真面目に年金保険料を納めた人が受け取る老齢基礎年金が月額66,208円であるの対し、年金保険料も納めず酒の飲みすぎで体を壊して生活保護になった70歳の老人が月額約13万円(住宅扶助47,700円を含む)の給付というのは「何かおかしい」と思いませんか?

 私が議員を志した最大の動機は風邪で当院を受診したフリーターの若者に「将来どうするのか?」と訊くと「生活保護を受ければ遊んで暮らせる。」という答えが返ってきた事です。この言葉に日本の税制・教育の全ての歪が集約されていると思います。


医療福祉の現場から
 平成13年に福永信彦先生(元衆議院議員)の後任として、自民党宏池会が独自に公募で候補者を募っていたので応募した所、合格者第1号になりました。ところがその直後にあの有名な『加藤の乱』が起こりポシャってしまいました。

 「何らかの形で医療や福祉の現場の声を行政に」と思っていた所、政治の世界で師と仰ぐ深井明自民党埼玉県連幹事長(県議)の勧めで平成15年の統一地方選挙に初出馬しさいたま市議になりました。

 議員を志したもうひとつの理由は長男が小学6年生の時、運動会の選抜リレーが「リレー選手を選抜するのが差別に繋がる」という理由で無くなった事です。選手に選ばれた子は天狗にならない事を、選ばれなかった子はそれを妬まない事を学べる絶好の機会を何故無くすのかと思い、市議になって校長先生と話し合い翌年から選抜対抗リレーを復活させました。


学校教育に一言
 「順序が付くことが良くない」として、運動会の徒競走で手をつないでゴールさせたり、期末テストを廃止したりしている公立学校もある様ですが、オリンピックでは選手の成績に応じて「金・銀・銅」という序列が付きます。これは差別でしょうか?

 私はスタート地点が平等であれば、その後は努力によって結果や報酬に「差」がある方が公平だと思います。日本では平等という事が金科玉条の如く扱われますが、私はむしろ過度の平等主義が日本をおかしくしていると思います。

 「先生と生徒は対等」と言い始めてから学級崩壊や校内暴力が、「親子は友達関係」と言い出してから家庭内暴力や少年犯罪が増えています。そもそも人間は自分と対等の者には「畏敬の念」は抱かないもので、自分との「差」を認めるものに敬意や思いやりを抱くのではないでしょうか?

 最近は更にエスカレートして「男らしさ」や「女らしさ」も否定するジェンダーフリーと称する動きもある様ですが、私は「男と女」、「先生と生徒」、「親と子」、これらにはそれぞれの役割があり、平等・対等にはなり得ないし、むしろ「差」がある方が健全だと思います。


指扇病院:頑張った者が報われる給与体系に
 日本の保険医療制度においては成功した手術と失敗した手術の診療報酬は同じです。また、公立病院では頑張って救急患者を沢山受け入れても、満床だと言って全部断っても医師や看護婦の当直料は同じです。これでは質もサービスも改善される訳がなく、むしろ診療する事が医療過誤の機会を増やすという考え方になって来ます。

 指扇病院で私が副院長になってやった事は頑張って沢山患者さんを診た医師と少ない患者さんしか診ていない医師の給与に少し差を付けただけです。これで年間の救急車の受け入れ台数が約450台から約2000台になりました。いわゆる能力成果主義を導入した訳ですが、職員の大多数が納得できる評価を下すには管理職にも実力が必要です。公務員の給与体系に能力成果主義を導入するのはかなり難しく民営化する方が簡単でしょうね。

 崩壊したソ連のゴルバチョフが「最も成功した社会主義国は日本だ」と言いましたが、我国の戦後民主主義と称される物の実体は所得平準化税制と序列を付けない教育に象徴される「結果の差」も「非」とする社会主義に他ならず、現在の閉塞状況はその行き詰まりと言えます。


公立学校の学力向上を
 塩野七生さんの「ローマ人の物語」の中に「平等を強調すればするほど不平等な社会が出来る」という一節がありますが、公立学校の「差」を無くそうとして学区制を導入した結果、公立学校の学力が低下し子弟を塾や私学に通わせる経済力が親にあるか否かという「差」が大きくなっています。「子育てするならさいたま市」という事で種々の施策が行なわれていますが、私は公立学校の復活こそが最大の子育て支援策だと思っています。


夫人との出会い
 墨東病院勤務時代、上智大学に留学中の妻から英語を習っていました。彼女は日系4世ですが顔は全くの日本人で、明治生まれの祖母に育てられたので今の日本人女性よりも日本人らしい所に惹かれ昭和62年に結婚しました。3人の子宝に恵まれましたが医師がこれほど拘束される職業である事も、選挙に付き合わされる事も彼女には予想外だったでしょうね。

 義母(ジョイス・津野田)は日系3世ながらハワイ州立大学の副学長を勤め昨年退官、昨年の秋に旭日中授章を叙勲しました。現在は日本の某大学で時事英語と比較文化の教鞭を執っていますが、授業の中で「自分は国際人として活躍したい」と言う学生に「英語が話せれば国際人ですか?」と質問しても答えが返って来ない。「あなた自身の日本人としてのアイデンティティとは何ですか?」と聞いても大抵は「No Answer」であると嘆いていました。


日本人のアイデンティティ
 国際都市を目指すさいたま市では今年度から教育特区として小学校5年生から英会話教育を導入し、国際社会の中で主体的に生きる人材を育成するとの事で議会でもジョイス先生が日本の大学生に尋ねた同じ質問をしました。

 ジョイス先生は会派の研修会で「本当の国際人とは自分の国を愛し、自分の国の歴史と文化と現在をちゃんと学び、堂々とグローバルコミュニティに出て自分自身と自分の国の事を主張できなければ国際人とは言えない」と述べています。

 国際社会で通用する人材育成において最も大切な物は日本人としてのアイデンティティ、言い換えれば日本人としてのプライドだと思いますが、歴史の負の部分だけを強調する教育では日本人である事にプライドを持てる人間は育たないと思います。


日本の歴史教育
 歴史教育といえば話題は扶桑社の歴史教科書ですが、上田県知事は既に県議会で「積極的に評価する。」と答弁され、先日、相川市長も「なかなか良い教科書だ。」とコメントされました。それに対して県や市の教職員組合など37の団体から抗議文が提出されましたが、これもある意味では戦後のGHQによるWar Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための戦争贖罪宣伝計画)の所産と言えます。

 1789年のフランス革命では「人は生まれながらにして自由平等の権利を有する」と人権宣言の第一条に謳われましたが、その後の英国の3C政策や独国の3B政策など欧米列強のアジア、アフリカへの植民地政策を見るとこの人権宣言の中の「人」とは白人のみで「有色人種」は含まれていません。米国では150年前までは黒人は奴隷だった訳ですから。

 欧米列強のアジア・アフリカ植民地政策が趨勢の時代に近代国家として生まれて間もない有色人種の国日本が当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を破った日露戦争は当時の白人社会にはショックだった様です。日本は日露戦争に続き、第一次大戦でも戦勝国になり白人の国々と対等の発言力を持って来ましたが、それが何を意味したかは容易に想像できます。

 第二次大戦では多くの日本人が人種差別に反対し、アジアの植民地を白人支配から解放するために戦った事も事実ですが、GHQの戦争贖罪宣伝計画は言論統制も見事で、多くの日本人は原爆を落とした米国に敵意を抱くこと無く「悪いのは日本だった」と教育されて来ました。

国を滅ぼすには武器はいらない
 「国を滅ぼすには武器は要らない。ただ国民からプライドを奪えばいい。」という言葉がありますが、GHQの日本占領政策の最大の目的は「国家=公」よりも「個人=私」を重視する憲法と自虐歴史観を与える事により、日本人から愛国心やプライドを奪い、再び白人の国に伍すことが無い様にする事でした。

 GHQの戦争贖罪宣伝計画は見事に花開き、戦後の日本は「私の自由と権利」を強調し、「国家は軍国主義に繋がる悪」として、「公なるものへの義務と責任」まで否定してしまいました。ここに今日の日本の迷妄の原因があり、官僚の腐敗、政治家の汚職、大企業の不祥事、学級崩壊、少年犯罪などこれら全てが「公」よりも「私」を優先させた帰結である事に気付きます。


≪地方自治体と国の違い≫
 議会で前教育長から「自立した人間として生きていくための人間力の向上」という答弁を頂いた事がありますが、さいたま市の生活保護世帯の増加率が全国1である現状を鑑みれば、子供達に自立心を説く前に、まず大人達に説く必要があるのではないかと思います。多くの地方自治体も国からの国庫補助金と地方交付税という生活保護がないとやっていけず、日本という国自体も、安全保障に関してはアメリカの生活保護状態です。
 
 そもそも国防という国家にとって最も基本的な事を他国に依存している国が独立国家と言えるのでしょうか?米国の日本統治は「属州の完全自治を認めながら、自らの手による防衛はさせず、宗主国の開戦時には基地と戦費を提供させる」というローマ帝国の属州統治と酷似しています。

 「地方自治体と国の違いは?」という事を議会で質問した事がありますが、民主国家に於ける自由と権利は「言論の自由」と「参政権」です。それに対する義務と責任が「納税」と「兵役(=国防)」であるという基本構造はギリシャ・ローマの時代から現代の欧米先進国に至るまで普遍です。地方自治体にも納税の義務がありますが、兵役の義務はありません。つまり住民にその共同体を守る責務を課せばその共同体は「国」と言えます。人口が埼玉県の700万人より少ない国も沢山あり、仮に埼玉県が県民に防衛の義務を課せば埼玉は「国」です。


北鮮の拉致と国防
 北朝鮮の拉致事件は「国防を自らの手で行っていない国家は国民の生命と財産を守れない」という証左に他ならず、戦力の保持と交戦権を禁じた憲法9条の第2項を削除しない限り、日本は独立国家とは言えないでしょう。そして自分の国は自分で守らないと日本人としてのプライドも育成できないと思います。

 私は「頑張った者が報われる」・「自分の国は自分で守る」という普通の国では当たり前の事しか言ってないのですが、日本では凄い抵抗がありますね。

 万人・万国が「善」であれば鍵も警察も軍隊も要らない訳ですが、残念ながら現実の人間社会では鍵も警察も必要です。同様にオウム真理教やアルカイダの様なテロ組織、或いは北朝鮮の様な独裁国家から国民の生命と財産を守る為には軍隊という抑止力が必要でしょう。

 繁栄を極めたローマ帝国が滅んだ理由は国防を傭兵に依存したからです。だから米国は国防を自前でやり、愛国心もしっかり教育しています。時々米国籍の女房を羨ましく思いますね。
 








 



2005年11月27日