「医師がサービス業か否か」はその医療費を誰が負担するかに依るのではないだろうか?例えば、美容形成外科の様に治療費を全額患者が負担する場合は医師業も完全にサービス業であり、患者はお客様であり「患者様」と称するべきだろう。一方、保険診療の場合は費用の大半は国民の納めた保険料や税で賄われるため医師は「最大多数の最大幸福」を念頭に置く必要があり、破綻の危機に瀕している我国の医療保険制度の下では、少なくとも以下の場合に於いては医師業は純粋なサービス業にはなり得ないのではないだろうか?
@福祉・保険の悪用
医療従事者には周知の事だが、福祉や保険を悪用する患者には枚挙にいとまがない。例えば、ある生活保護の患者は酒を飲んでは気分が悪くなったといっては、いくら注意しても救急車を呼んで頻繁に病院に搬送されて来る。生活保護の患者の医療費は全額公費で賄われ、自己負担分はゼロであり、当然、保険料も所得税も納めていない。
ある29歳の男性患者は腰が痛いといって定職に就かず、両親は健在で収入があるにもかかわらずアパートに1人住まいし生活保護を受けていた。精査の結果、彼の腰には異常所見は無く、親と本人を説得し生活保護を止めさせた。
昨今のマスメディアの医師の権威主義に対する過剰なバッシングから、医師が患者へ過度に迎合する傾向も見られるが、それは公立学校の教師がマスメディアの行き過ぎた子供の人権擁護によるバッシングから、叱るべき時にも子供達を叱れなくなっているのに似ている。
A救急医療
救急医療の現場では、「空床1床を誰に使うか」、分かりやすく言えば「80歳の肺炎の老人に使うか、10歳の髄膜炎の子供に使うか」ということが問題になる。また、数量に限りのある血小板製剤などを助かる見込みの乏しい自殺の広範囲熱傷の患者に使う意味があるかどうか?或いは、高齢者の重症脳卒中の症例に管を一杯つないで人工呼吸器を装着し、多額の医療費を用いて一ヶ月延命する医療と点滴1本だけして翌日静かに見送り、限りある医療費とベッドを将来ある若年者に回す医療とどちらが質の高い医療と言えるか等々。患者の家族にこれらの諸問題の判断は可能だろうか?
脳外科諸氏から反論はあると思うが筆者の救命救急センター5年間の経験では、70歳以上で初診時意識レベルがJapan Coma ScaleでV―100以上(刺激をしても覚醒しないレベルの意識障害)の重症脳卒中で社会復帰(摂食、排泄、移動のADLが自立)し得た例は一例もなかった。
B悪性腫瘍
悪性腫瘍に対する治療は告知の問題から、終末期医療まで医師によってかなり哲学が異なるのが現実であるが、壮大な医療費の無駄とも言える延命治療が行われている事も多い。
思いつくままに、実際の医療現場で、「お医者様」としての権威をふりかざすのではないパターナリズムが必要と思われる場合を列挙してみたが、英語圏の国では医師はDoctor、弁護士はLawyer、政治家はPolitician、教師はteacherなどそれぞれの呼び方があるのに対し、日本ではこれらの職業の人達は一括して「先生」と呼ばれ、「閉鎖された社会に住み、社会的常識に欠けている」という共通点を見出す事ができ、無用な権威を振りかざす傾向があるのは否定しない。
しかし、日本では患者やその家族は病院や医師を選択する自由と権利がある訳であり、もし自分の担当医が「権威を振りかざす不愉快な医師だ」と感じるのであれば、別の病院・医師を選択すれば良いのではないだろうか?基本的には医師・患者関係もウマが合う合わないの人間関係に他ならず、好きなタレント・トップ10の中の数人は、同時に嫌いなタレント・トップ10にも入っているものである。
「医師はサービス業?
〜パターナリズムバッシングへの疑問」
ばんぶー2001年7月号