【軍事力のない外交はあるか?】
  産経新聞 2002年5月22日「談話室」
 中国・瀋陽の日本総領事館における亡命者連行事件は、塩野七生氏の「ローマ人の物語」の中の一節、「自ら血を流して、祖国を守った経験のない国民は、国の存亡の危機が迫っていてもそれを感知する能力も失っている」を思い出させる。

 機密費を私的に流用し、宴会を催すだけの役所は不要である。この際、防衛庁を防衛省に格上げし、外務省は防衛省の外交部門に格下げするのはどうだろう。政府開発援助(ODA)も武力行使に代わる安全保障政策の一環と位置付けるべきである。

 米国では外相に相当するパウエル国務長官はもとより、チェイニー副大統領もアーミテージ国務副長官も国防総省出身で、アフガン問題、中東問題など国際政治の舞台では「軍事力の無い外交はあり得ない」のが現実である。

 そもそも、国防という国にとって最も基本的な事を他国に依存している国に主権など存在するのだろうか?他国から侵略された時に「国を守るために戦う」という若者が30%未満の国の役人や政治家に「国の主権を守る事」を期待するのは無理な話だろう。