【ニュージーランド行政視察報告(その1)】
 埼玉県議会のお行儀の悪い海外視察報道以降、海外視察には厳しい眼が向けられており選挙を考えるとむしろ不利かとも思われるが、行財政改革に成功したモデル国として世界中から注目されているニュージーランドを視察する機会を与えて頂いたので2回に分けてレポートする。

【改革の背景】
 ニュージーランドは第2次世界大戦で戦場にならなかった事もあり、祖国イギリスへの食料と酪農製品の輸出国として、戦後長く世界トップクラスの繁栄を享受してきた。 
 
 この繁栄のかげりは1973年、英国がECに加盟し、ニュージーランドに対する特恵関税が廃止され、農業と牧畜の国ニュージーランドが最大の市場を失った事に始まる。このとき国民党のマルドゥーン内閣は天然ガスからの石油合成工場や砂鉄を利用した製鉄工場の建設、巨大ダムを建設しその電力でアルミ精錬工場を誘致する等、豊富な天然資源を利用した起死回生の大プロジェクトを立ち上げたが、2度に渡るオイルショックがこれらの計画を挫折させた。

 国民1人当たりの負債額はブラジルを抜き世界1位となり、1984年には財政赤字はGDPの9%以上に、経済成長率はほぼ0%でインフレ率は15%以上に、失業率は6%に達した。

【改革の実体】
 1984年7月に発足した労働党のロンギ政権はこの危機的状況を打破するために抜本的な改革に乗り出す。この改革は一言で言えば「ゆりかごから墓場までと称された社会主義的な大きな政府から、規制緩和と民営化で競争原理の働く自由主義的な小さな政府にした。」と言えばいいだろうか?

 まず、発電、電信電話、鉄道、航空など親方日の丸的な21の国営企業を民営化し、1984年には88000人いた公務員を1995年には35000人に削減した。税制に於いても所得税の最高税率を66%から33%に引き下げ、消費税(最初10%、すぐに12.5%になり、現在に至る)を導入し、頑張った者が報われるべく直間比率を是正した。そして1989年の地方自治法の改正により、741あった自治体を92に整理統合したのである。

【改革の効果と副作用】
 この改革により1985年には20億8200万NZドルの赤字であった財政収支は、1987年には6億4200万NZドルの黒字に転換し、インフレも収束するが、この改革の副作用は1991〜2年にピークに達し、経済成長率はマイナスになり、失業率は10.3%にまで上昇、1990年には労働党政権が倒れ、国民党に政権交代している。

 しかしながら、この改革は富裕層の起業意欲を増し、1993年より経済成長率はプラスに転じ、失業率も減少、直間比率の是正は景気に水を差す事無く、むしろ税収は増えニュージーランド経済は蘇ったのである。

【改革成功の秘訣】 
 
振り返って、我国の国と地方を合わせた債務は2003年度末には686兆円に達し、小泉内閣が「民間にできる事は民間に・地方に出来る事は地方に」の掛け声の下に行財政改革を目指しているのは周知の通りである。

 このニュージーランドの急進的改革は人口が日本の30分の1の400万人しかいない国(国土面積は日本の約4分の3)だから可能であったという側面はあろうが、最も重要なポイントは国民が何を言おうが、地方自治体が何を言おうが中央政府が改革を断行した事にある。

 1997年4月、当時の橋本首相がニュージーランドを訪問し改革を成功させた秘訣を尋ねたところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だか分からないうちに急速に改革を推し進めたことです。」と答えているが、741の自治体を92に整理統合し、国から地方への交付金を廃止するという地方自治体の再編・大合併に賛同した自治体も1つも無かったという。
                  (その2へ続く)
2004年12月10日