【医療ミスで刑事責任を問われるのは日本だけ】
2006年4月24日
 医療ミスがマスコミに取り上げられない日が無い昨今だが、医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われるのは先進国では日本だけである。医療過誤に対し刑事罰を課すのは「手術に失敗した外科医の両手を切り落とす」という4000年前のハムラビ法典と変わらない。欧米ではよほど悪質なケースを除きケアレスミスであっても医療過誤で医療従事者が刑事責任を問われる事はない。
 刑事責任を問われないから、情報公開⇒原因究明⇒再発防止というプロセスが成り立つのである。

 医師の立場から見れば医療過誤には2通りある。

 一つは都立広尾病院での消毒薬の誤注射、横浜市大病院での手術患者の取り違え、埼玉医大の週1回の抗癌剤を毎日投与したミスなどの完全なケアレスミスである。これらについては100%医療側に過失があるが、「ゆとりの教育がもたらした注意力散漫」もその一因だと言えないだろうか?

 人間は間違いを冒すものであり、容器の色を変える、ダブルチェックする、リスクマネージャーを設置する等のシステムの改善も重要だろうが、これらのミスはやる前にもう一度確認すれば防げるものである。それは試験で答案を提出する前にもう一度名前と受験番号を確認する作業と差はない。

 学生時代にケアレスミスを容認する様な教育を受けてきた者に社会人となって「さあ、今日からケアレスミスをするな」と言う事自体に無理がある。日本の教育システムに於いて偏差値が高い事は「頭が良い事」を意味する訳ではないが、ケアレスミスが少ないとは言える。

 もう一つの医療過誤(これは医師から見ればミスではないが)は誤診や術後感染の様な人間がやる限り0にできない事例である。これらについては適切なインフォームドコンセントが為されていれば、民事はともかく刑事責任を問われる様な過失は医療側には無い。もしこれが業務上過失傷害や過失致死に問われるのであれば、「医療過誤の抜本対策は医療行為をしない事」にならざるを得ない。

 先日、東京地裁が杏林大学病院での割り箸事件(口腔内に刺さった割り箸が頭蓋内に達し子供が亡くなった)の担当医に対し業務上過失致死の刑事責任は問わず無罪の判決を下したが、無責任なマスメディアに煽動される事無く司直が適切な判断をした事に安堵した。

 誤診や術中・術後の合併症はいわゆる「難しい症例」に発生し易い。そしていわゆる大病院にはこの「難しい症例」が集まって来る。救急医の間では常識だが、杏林大学病院は救急医療に非常に力を入れている病院で多摩地区の救急医療を一手に引き受けている。この子供も23区内の病院に受け入れを断られ、杉並区から三鷹市の杏林大学に搬送されている。

 子供は症状がちゃんと訴えられないため誤診のリスクも高く敬遠する病院が多い中、勇気を持って収容した病院が業務上過失致死で刑事責任を問われ、「満床である、専門医が居ない」等の理由で断った病院がお咎めなしでは、まさに「頑張った者が報われない国、日本」を象徴している。

 「綿菓子の割り箸をくわえたまま遊ばせていた親の責任は?」とも思うが、いずれにしても小児を診ようという医師は激減しており、1992年には33832人だった小児科医は2000年には14156人と5分の2に減っている。

 先日、福島県立大野病院での帝王切開術で大量出血により母親が亡くなった事例で産婦人科医師が業務上過失致死と医師法(異状死体の届出義務)違反を問われ、「証拠隠滅のおそれ」という理由で術後1年2ヶ月も経ってから外来診療中に手錠をかけられ逮捕された。
 
 大量出血の原因となった癒着胎盤という疾患は2500〜10000分娩に一例というまれなもので、MRI等で発見できる可能性もあるが術前診断も困難で、産科疾患の中でも治療が特に難しいとされている。本件は更に前置胎盤に癒着胎盤を合併するという10〜20万分娩に一例という極めて稀なケースである。

 この医師は産婦人科過疎の地域で一人医長で頑張っていた訳だが、こういう極めて稀な難しい症例についても「判断ミスは許さない」、「結果が悪ければ逮捕」というのであれば本当に「医療過誤の抜本対策は医療行為をしない事」にならざるを得ず、産科の医師は居なくなる。

 無責任なマスメディアは「医者は金持ちで悪」であり、「患者は弱者で善」であるという図式で盲目的になんでもかんでも医療ミスと叩いているが、本当に「日本中、何処に行っても自分の子供の出産に立ち会ってくれる産婦人科医が居ない、自分の子供が病気になった時、診てくれる小児科医が居ない。」という状況まで行かないとマスメディアは判らないのだろうか?

 よく患者さんは「経験と実力のある医師にかかりたい」と言うが、実力と経験があるという事はそれだけ合併症やトラブルを経験しているという事であり、その経験がない医師は合併症やトラブルに対処できないのだが。・・・

追記:「マスメディアが国を危うくする」という事は既に紀元前に韓非子が「五蠹(ごと)」という物語の中で看破している。
 「蠹(と)」というのは木を食い荒らす虫のことで、国を荒らす5つの虫の事を述べている。その当時はマスメディアという言葉はないので、「口舌の徒」という言葉を使っているが、学者とか、言論人とか、遊説家とか、要するに言いたい事だけ言って責任を取らなくてもいい人達が「国を危うくする」と述べている。
 医者や看護師が薬の量の「mg」と「g」を間違えると大変な事になりかねないが、ニュースキャスターや新聞が「mg」と「g」を間違えても「お詫びして訂正いたします」で済んでしまうのである。