【サッカー・ワールドカップを見て〜
日本にフォワードが育たない理由】
さいたま市はJ1のサッカーチームを2つ持つ稀有な市であり、市民の「サッカー」に対する関心も高いので開催中のワールドカップ(W杯)について述べたい。
周知の様に日本は残念ながら決勝トーナメントに進出できなかった。
前回・前々回のW杯から「日本のフォワード(FW)不在」が指摘されていたが、今回のドイツ大会はまさにそれを実証した結果となった。3試合で2得点、1点はミッドフィルダー(MF)の中村俊輔が蹴ったクロスがそのままゴールに入ったものであり、FW陣のゴールは玉田の1点のみ。日本が3試合で放ったシュート27本のうちFW陣のシュートは9本であった。
1968年メキシコ・オリンピックのサッカーでは日本は銅メダルを獲得しており、その時のFWは釜本であった。釜本は7得点を挙げて得点王に輝き、世界中のクラブチームからオファーが殺到した。現在、海外で通用しそうな日本人サッカー選手としてMFなら中田英・小野・中村俊輔etcとそれなりに名前が出て来るがFWとなると名前がなかなか浮かんでこない。
私には「40年前は日本でもFWが育ったのに、今はFWが育たないという事」と最近40年間の日本の公教育とが無関係とは思えない。つまり徒競走を手をつないでゴールさせる様な「皆が一等賞的な横並び教育」ではゴールをアシストするMFは育ってもゴールを決めるFWが育たないと思うのである。
現在の日本の公教育では勉強でもスポーツでも突出してできると出る杭は打たれる風潮があるが、サッカーのFWには「俺が一番上手いんだ。俺が決めてやる。」という気持ちが必須であり、口に出すかどうかは別にしてワールドカップに出てくるエースストライカーは皆、心の中ではそう思っているはずである。日本の選手には「俺が一番上手いんだ。俺が決めてやる。」という気持ちが今ひとつ欠けているので、「シュートだ!」と思う所でもパスを出してしまうのではないだろうか。
さて、さいたま市では来年4月に中高一貫校を開校するが、この中高一貫校では従来の横並び教育ではなく、エリート教育を目指している。即ち、さいたま市は塾や有名私立に通わせる経済力が親に無くても有名大学に進学できる公立学校を目指している。当然、この中高一貫校の学区はさいたま市全区であり、私が選挙時に掲げた「学校選択の自由化」という公約を一つ果たせたのかなと思う。
「平等を強調すればするほど不平等な社会ができる」という言葉があるが、学校間格差を無くそうとして公立学校に学区制度を導入した結果、公立学校の進学率が落ちて、結局「子供を塾や私立に通わせられるだけの経済力が親にあるか否か」という格差が広がっている。そして富や仕事を平等に分け合うはずの共産主義の北朝鮮の支配階級と一般人民の格差も日本の格差より遥かに大きいのである。
2006年6月29日