安倍総理の辞任について
 今回の安倍総理の退陣は遺憾であると同時に「日本が普通の国になる歩み」が大きく後退する事を危惧する。

 安倍氏はまだ若く参院選直後の退陣であれば再登板もあり得たが、組閣・所信表明直後の辞任は無責任と言われても止むを得ない。私は安倍前総理に何度かお会いした事があるが、自民党議員には珍しく育ちの良さと優しさを感じさせる人であった。長所と短所は裏表であり、この優しさが逆に郵政造反議員の復党や問題閣僚を更迭できない等で指導力不足の評価を招いてしまった。
 戦国武将の毛利元就は「善人には断は下せない」と言っているが、「泣いて馬謖を斬る非情さ」もリーダーの重要な資質の一つである。

 何事に於いても「最大の敵は内側にあり」で、党内、閣内に敵がいるのは当たり前である。最大の内側の敵は重圧に打ち克つべき総理自身であった訳だが、どうせ辞めるのなら小泉前総理の郵政解散の様に「テロ特措法延長に是か非か」で解散・総選挙すれば禍転じて福と為った可能性もあった。

 聞く所によると既に総理には進言する参謀的議員もおらず、衰弱が著しく戦略を考える余裕すらなかった様だが民主党は先の参院選で大勝したものの、憲法9条・安全保障では党内一致できない事は周知の通りである。

 日本のメディアは内政問題に争点を矮小化しようとするだろうが、「中東から日本へのシーレーンを守っているのが米軍の第7艦隊である事」、「現在の日本人の平和で豊かな生活がどれほど米国に依存しているかという事」、更には「自衛隊をインド洋から撤収する事は真冬に町内会でドブ掃除をする時にお金を出してコタツに入ってみかんを食べる事に等しい」など、安倍氏の最も得意な分野で勝負でき、民主党を分裂に追い込み「憲法9条・安全保障による政界再編」もあり得たのだが。

 何度も同じ事を繰り返して恐縮だが、民主国家に於いて国民の自由と権利が「言論の自由」と「参政権」であり、それに対する国民の義務と責任が「納税」と「防衛」であるという基本構造はギリシャ・ローマの時代から現代の欧米先進国に至るまで普遍である。地方自治体にも納税の義務はあるが、防衛の義務はない。つまり「防衛」の責務を果している共同体が「国」であり、「防衛」を完全に米国に依存している現在の日本は「普通の国」とは言えず、国際社会では米国の属国扱いである。
 「国軍の保持と交戦権」を禁じた憲法9条の第2項がある限り日本は独立国家足り得ないのである。

 私は地方議員をしているが国の最も重要な仕事は安全保障であり、北朝鮮の邦人拉致事件は自国を自らの手で守っていない国は国民の生命と財産を守れない事の証左に他ならない。
 国の安全保障政策は基本的には「自分の国は自分で守る」、「未来永劫、他国の軍隊が駐留しその傘の下に居る」、「非武装中立で外国から侵略されたら降伏する」の3つに大別されるが、民主党の多くの議員と日本のメディアは「自分の国は自分で守る」という国際社会では当たり前の事が言えないのである。



2007年9月16日