大多数の日本人は自分の家で家族に囲まれ静かに息を引き取りたいと思っており、病院で管を沢山つながれて死にたいとは思っていない。少なくとも私はそうだ。しかし、いつの頃からか、日本人は病院以外では死ねなくなってしまった。

 私は救命救急センターで計5年間勤務していたが、そこでの医療は自分が患者になったとき受けたい医療、或いは自分の家族に受けさせたい医療ではなかった。管を沢山つながれて死んでゆく患者達。懸命の救命治療にて生き残ったものの植物状態となり、それを誰が看るかで家族が崩壊していくケース。救命はしたものの、患者も、家族も、医療従事者も、誰も幸せになっていないケースも少なくない。そしてそれに要する膨大な医療費。脳外科諸氏から反論はあると思うが私の救命センター5年間の経験では70歳以上で初診時意識レベルがJapan Coma ScaleでV- 100以上(刺激をしても覚醒しないレベルの意識障害)の重症の脳内出血や脳梗塞で社会復帰した例は一例もなかった。一撃で呼吸停止を来すような重症の脳内出血などは神が人間に与えてくれた苦しまずに死ねるいい死に方であると考えるようになり私は救命センターを去った。

 人間も生物である以上「死」は避けられない。その日は例外なく必ず訪れる。管を沢山つないで一分でも、一秒でもと言う延命治療をしている方が医療従事者のストレスは少ない。何故なら医師も、看護婦も延命させる教育しか受けておらず、いかにして人間としての尊厳を保ったまま、避けられない死を迎えさせるかという教育は全く受けていない。

 インフォームドコンセントなるものが最近言われているが、迷った場合は医師自身やその家族が患者の立場に立ったときどうするかを担当医に訊いてみることをお薦めしたい。


3)【家で死ねなくなった患者】 
     産経新聞1999年10月28日「待合室」
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