【元気な時に延命治療に対する意思表示を】
先日、新聞報道にもあった様に日本救急医学会が「救急医療における終末期医療に関するガイドライン」を発表したのでそれについての議論を聞く為第35回救急医学会総会に参加した。
医学界も裁判所も厚生労働省も延命治療中止に必要な要件として「複数の医療従事者の判断」と「本人の意思表示」の2点を挙げており、ここまではコンセンサスが得られている様だ。但し、病気でも事故でも意識不明の状態では延命治療中止の意思表示はできないので元気な時に意思表示しておく事が必要になってくる。
私は救命救急センターという所で計5年間勤務したが、そこでの医療は自分が患者になったとき受けたい医療、或いは自分の家族に受けさせたい医療ではなかった。管を沢山つながれて死んでゆく患者さん達。懸命の救命治療にて生き残ったものの植物状態となり、誰が看るかで家族が崩壊していくケース。膨大な医療費を費やして救命はしたものの、患者さんも、ご家族も、医療従事者も、誰も幸せになっていないケースも少なくない。
脳外科諸氏から反論はあろうと思うが私の救命救急センター在職5年間の中では初診時に刺激をしても覚醒しない重度の意識障害を伴う脳卒中(脳内出血や脳梗塞)で社会復帰した患者さんは70歳以上では一人もいなかった。ここでの社会復帰とは摂食、排泄、移動の自立を意味し、この3つが自力で出来ないと誰かの介助が無ければ生活できないのである。
「死」は幾ら健康に注意していても人間が生物である以上避けられず、その日は例外なく必ず訪れる。一撃で呼吸停止を来すような重症の脳内出血などは神が人間に与えてくれた苦しまずに死ねるいい死に方であると考えるようになり私は救命センターを去った。
私を含め大多数の日本人は病院で体中管だらけになって死にたいとは思っておらず、最期は自分の家で家族に囲まれ静かに息を引き取りたいと思っているだろう。しかし今、日本人は病院以外で死ねなくなっている。
私はこの問題を既に1999年10月28日付産経新聞の「待合室」欄に【家で死ねなくなった患者】として寄稿しているが、「ようやく議論がここまで来たか」と思う。救命救急センターの勤務経験から私自身が受けたい医療内容を記した尊厳死依頼状をホームページ上で公開しているので植物状態で生かされたくない方は開いてみて頂きたい(左欄中段)。
尚、私自身は脳卒中や事故による急死よりも家族や周囲の事を考えると身辺整理をする時間的余裕がある「癌で」、そして「自宅で」と思っている今日この頃である。
2007年10月21日